民族とは何か

こんにちは!!
s-Live 東京つつじヶ丘校です。

民族というと、さも伝統的にあるものだという認識の方が多いかもしれません。

日本人は、単一民族だという話も、多民族国家だという話もありますが、
これは民族というものが何かを理解していないといけません。

そもそも民族という言葉を、現代の定義で使いだしたのは、
フランス革命の時期のフランスからです。

つまり、近代国家(=国民国家)を作る過程で出てきた考え方ということです。

ということは、世界中にはいろいろな国家がありますが、
その中の民族というものは、近代国家が成立した時期か、
欧米によって植民地化された時点で、持ち込まれた概念ということです。

そうなると、日本が多民族国家か、単一民族国家かというのは、
不毛な議論であると分かってもらえるとおもいます。

ようは、「明治時代以降に日本に対して集団移民が行われたか」という話なので、
その答えとしてはNoですが、そもそもそれになんの意味があるのでしょうか。

私たちが当たり前と思っていることの中には、
今のシステムのルールとなっている部分と、本当に昔から続いているために当たり前の部分があります。

もちろん、ルールは社会のシステムが変われば、
昔から続いているものは時間が過ぎれば変わっていきます。

現在のあたりまえとは何なのかを考え、それをいかに利用できるかというところ名のではないでしょうか?


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世界最小の民族

こんにちは!!
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世界で採用の民族といわれるタロン族を皆さんはご存じでしょうか??

成人しても、身長が110-130cmしかないそうです。

とはいっても、もうすぐ滅亡するという見方が強いです。

現在は男性が1人にに女性が3人の兄弟しかいないということですが、
なぜ、ここまで数が減ってしまったのでしょうか。

現在は上記のように少ない人数ですが、約60年前ほどの調査では、
まだ100人以上いたそうです。

しかし、彼らの生活圏であるカラ・ボラジ山というところが、ヒマラヤ山脈の一体であるため、
非常に地震の多い地域で、そこで多くのタロン族がいなくなり、
血縁の近い者同士の結婚が相次いだため、多くの子供たちが幼少期に亡くなってしまったためと言われています。

ただ、ここで誤解していただきたくないのは、
あくまで新世代のタロン族が増えていないという見方が強いということです。

というのも、ここまで強烈な特徴をもっていると、
ほかの民族との間に生まれた子供の身長が高ければ、
タロン族であるとはみなされないというところがあります。

私たちは、民族というと伝統があり、ほかの集団とは全く違うものであると
思ってしまいがちですが、民族というのは非常にあいまいな存在です。

ではなぜ、民族という概念はここまで私たちにとって大きいものであるように感じるのでしょうか。

次回は、民族とは何かということについてお話したいと思います。

サンカ族

こんにちは!!
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皆さんは、サンカ族という民族をご存じでしょうか??

名前的に、南アジアや東南アジアの法の民族のように聞こえますが、
実は日本にいた「民族」となります。

このサンカ族は、実は日本で生活していた民族です。
しかも、昭和20年ごろ(1945年)ごろまで、その存在が、
統計的にではないとはいえ、確認されていた人々です。

彼らは普段、山を生活圏とし、しばしば山里へ降りてきて、
物々交換によって我々との交流を持っていたといわれます。

驚くべきは、明治時代以降も移住生活をつづけ、
大日本帝国の戸籍には登録されていたなかったということです。

また、このサンカという呼び名は、あくまで我々平地の人間がそう呼んだだけで、
彼ら自身が自らをこのように読んでいたわけではないようです。

彼らは狩猟採集の生活をベースとした移住での生活を基本としており、
山里の村などとの物々交換の際には、かごなどの工芸品を主に交換していたそうです。

個人的には、戸籍に登録されない人々が明治時代以降にも存在したというのにも驚きましたし、
それが戦後になってからほぼ見られなくなったというのも驚きました。

もちろん、日本の各地にみられたサンカと呼ばれた人々は、
全体が一つの集団として動いていた可能性がとても低いですが、
経済的な成長の影響なのか、中央官庁の力の増大の影響なのかはわかりませんが。
それだけの力を得ていたというのは、やはり面白いともいます。

次回は、もう少しわかりやすく、明確に民族であると定義されたタロン族という、
世界最小の人々について話していこうと思います。


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日本刀の歴史

こんにちは!!
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日本刀というと、現在でも作成される数少ない伝統的な武器の一つです。

といっても、もちろん武器として使用されるというよりは、
現在は美術品としての価値がほとんどとなっていますが、
実に1000年以上日本において生まれてから継続している「モノ」というのは、
非常に珍しいと思います。

では、この日本刀のルーツを皆さんはご存じでしょうか??

大学受験で日本史を選んだ人は知っているかもしれませんが、
実は、平安時代の末期に東北地方の蝦夷が用いていた蕨手刀(ワラビテトウ)という剣がルーツなんです。

当時の蝦夷は馬に乗って戦う騎馬戦闘が主だったため、
朝廷側のまっすぐな直剣に対して、馬から振り下ろしやすいように湾曲していた蕨手刀を
好んで用いていました。

そしてこの湾曲した剣は、武士たちが活躍するようになると、
日本全国で広がっていきます。

理由はもちろん、武士たちも馬に乗って戦ったからです。

そして馬に乗ったまま戦うことを想定する刀は巨大化し、
馬に乗ったまま、その勢いで相手を攻撃するようになっていきました。

それと同時に、巨大な刀を扱える人間は、豪傑として尊敬されたため、
南北朝時代には、異常に大きな「大太刀」と呼ばれるものが流行りました。

このように、戦国時代の末期ごろになるまでは、
日本で接近戦において、最もよく使われる武器でした。

しかし、戦国時代の後期ごろから集団戦が発達し、刀や大太刀は廃れていき、
槍や鉄砲のほうが広く使われるようになっていきます。

理由としては、槍も鉄砲も自分の前にまっすぐ攻撃が行くので、
横方向にいる人が近くても、邪魔にならないという理由からでした。

その分、槍や鉄砲のほうが、同じ幅に攻撃力を集中させられるということですね。

そんな中、刀は武器としての存在感を失っていきますが、
代わりに武士の身分を表す身分証のような存在になっていきます。

豊臣秀吉廃刀令には、表立って刀を差せる人間が武士、表立って刀を差せない人間は
武士ではない人間、というような身分をわかりやすくするという側面があったわけです。

そしてこの日本刀が再び「武器」として活躍する時代が、
実はこの後にもう一度だけ来ます。

次回は、なぜほかの武器に主役の座を奪われた刀が再び脚光を浴びるようになったのか、
これについてお話していこうと思います。


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インターネットという国土

こんにちは!!
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人類の歴史では、陸を活用して発展していく大陸国と、海を活用して発展していく海洋国家がこれまでに存在しました。

 

軍事的な内容を結びお付けられがちな内容ですが、そもそも軍事とは国の経済や安全を守るために存在するものです。

 

つまり、これからの時代、インターネットビジネスというものの拡大は
誰の目にも明らかですし、国家の対立によってインターネット上で争いが引き起こされるということも考えられるわけです。

 

そうなると、大陸国家、海洋国家に加えて、
インターネット国家というものの存在も十分に考えられるのではないでしょうか。

 

法的な規制というものも、これからインターネット上に色々と広まっていくことも考えられます。

 

外国へ行くのには、パスポートが必要です。

 

それは国民を国にとどめるためでもあり、国に入ってくる人が安全かどうかを確認するためでもあります。

 

今の社会では、インタネットというものは世界中につながっており、
日本人でもgoogleを自由に使える反面、中国のbaidoという検索エンジンは、
使えはするものの、好んで使う人は少ないでしょう。

 

また、中国においてはgoogleやyahooを検索エンジンとして使うことができません。

 

このように、検索エンジン、それに伴う得られる情報というものが、
自分の所属するグループに応じて変わってくるというのが現状としてもあるわけです。

 

もしかすると、将来的には国単位の境目と同様に、
自分がどのグループに所属するのか、どのような検索エンジンに属す国なのか、
というものが自分終えられる情報に影響するような社会がくるのかもしれません。

 

そうなったとき、私たちの「母国」「出身」とはどのような扱いになっていくのでしょうか??


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日本の地政学

 

こんにちは!!
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日本は、アジアのトップの国としての地位を築き上げることに成功しましたが、
その後の成長についてはどうなっていくのでしょうか。

日本は当面の脅威としてあったのは、ロシアの存在でした。

しかし日露戦争でロシアを退けたというのに加えて、両国は友好国となっていくため、基本的には脅威がなくなっていきます。

そこで、日本は基本路線として中国への進出を目指していきますが、
この中国という存在が非常にデリケートな存在でした。

というのも、現代の感覚でいえばとてもかわいそうな話ではあるんですが、
当時の列強は中国への進出を加速している真っ最中でした。

構図としては、
 進出に成功  :イギリス・フランス
 進出にやや成功:ドイツ・ロシア・日本
 進出できず  :アメリ

アメリカは、日清戦争後の中国進出ラッシュの時代とハワイの併合を達成した時期がほぼ重なっていたため、
中国へ進出する準備が整った時には、すでに他国によって中国の進出が成功した後でした。

第一次世界大戦を契機に、日本があっという間に中国の中のドイツの勢力圏に進出したため、
アメリカが中国へ進出するチャンスはありませんでした。

日本とアメリカが本質的に対立する根本的な原因は、まさにこの部分です。

日本はその後の国難を、中国への進出という形で解決しようとし、
アメリカも中国へ進出したいという状況が続いている中で、日本とアメリカは太平洋を挟んで対立していくことに
なっていきます。

こうしてアメリカと日本は対立する形となっていきました。

戦争というものは、きっかけはいろいろな候補があがります。

しかし、根本的な原因というものは、
何十年も前から決定しているという状況が非常に多いです。

現代の政治的な対立でいえば、
日本と中国の政治的対立も、太平洋へ進出したい中国と進出させたくない日本の思惑の対立です。

それらを見たうえでニュースを見ると、いろいろと見えるものが変わってくるかもしれません。

次回は、これからの地政学に新たな概念が加わるのではないか??という話です。
楽しみにしていてください。


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日本の地政学

 

こんにちは!!
s-Live 東京つつじヶ丘校です。

以前の記事で、地政学についての話をしたことがあります。

日本は、海に囲まれているから海がとても重要な国、海洋国家だ。的なやつです。

この地政学というものを学ぶと、これまでの国がなぜそのようなことをしてきたのかという点に
注目してかかれているため、その国の地理的な情報を学ぶことができれば、その国の行く末を予想できる。と、
思えるようなものです。

しかし、この地政学というものは、その時代の技術力によって、要素がアップデートされていくということを
考えなくてはいけないことを書いている本は非常に少ないです。

というのも、もともとは大陸国家が強大な力を誇るところからスタートし、
その後に現代では海洋国家が世界に覇を唱えているというのも、
世界中を行ったり来たりできるような船が誕生したからこそなわけです。

逆に言えば、これから先、海を行き来する以外にも新たなヒト・モノ(・カネ)の運搬が可能な経路が見つかれば、
それを牛耳った国が世界の覇権を握るのではないか?というのが個人的な意見です。

それらを考えるためにも、まずは今までの近代以降の日本がどのような条件に突き動かされて
行動してきたのかをざっと説明します。

まず、前近代の日本において重視されていたのは海ではなく陸でした。

もちろん、九州・本州・四国・北海道を渡って移動するケースはあったかもしれませんが、
海での戦いで国の勝ち負けが決まるケースはほぼありません。また、商売についても基本的には一部の大商人を除いて、
日本全体を駆け巡るというケースはありません。

ということは、陸を確保することが、国にとっても商人にとっても大切という話なわけです。

現に、江戸時代までの軍隊である武士は、大部分が陸上での戦いを想定した人たちでした。
水軍と呼ばれる海の武士もいるにはいましたが、数も少なく、
江戸時代の船の製造には大きさ・形式の制限がついているという状態でした。

ビジネスでは、江戸時代に日本各地を回って利益を上げた商人たちもいましたが、
彼らの航路では敵対する国による妨害はほぼなく、むしろ海という自然を相手にどうするか?ということのほうが
遥に重要でした。

そこへ黒船が来たからこそ、と当時の日本は驚いたわけです。

海の戦いはあくまで、サブであると思っていた江戸幕府からすれば、
江戸を巨大な大砲で攻撃できるかもしれず、鎮めるにしても効果的な方法がない黒船は
当時の日本にとって脅威だったわけです。

そこで、島国を繁栄させるためには、海の商売を発展させ、途中の危険から商船たちを守るためにも
強力な海軍を国が持つしかない、という思考で日本は海を中心に力を入れていくわけです。

その中で、日本は日清戦争日露戦争を戦い抜きます。

目的は一貫して朝鮮半島の安定化でした、

朝鮮半島が敵対する強大な国に支配されてしまうと、日本の独立が脅かされるということですね。

そのために初めに清、ついでロシアと戦ったわけです。


その過程で日本は、極東ポジションにおけるリーダー国的ポジションにつくこととなっていきました。

では、これ以降日本はどのような発展を目指していくのか?

それについては次回でお話していこうと思います。


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