日本刀の歴史

こんにちは!!
s-Live 東京つつじヶ丘校です。

日本刀というと、現在でも作成される数少ない伝統的な武器の一つです。

といっても、もちろん武器として使用されるというよりは、
現在は美術品としての価値がほとんどとなっていますが、
実に1000年以上日本において生まれてから継続している「モノ」というのは、
非常に珍しいと思います。

では、この日本刀のルーツを皆さんはご存じでしょうか??

大学受験で日本史を選んだ人は知っているかもしれませんが、
実は、平安時代の末期に東北地方の蝦夷が用いていた蕨手刀(ワラビテトウ)という剣がルーツなんです。

当時の蝦夷は馬に乗って戦う騎馬戦闘が主だったため、
朝廷側のまっすぐな直剣に対して、馬から振り下ろしやすいように湾曲していた蕨手刀を
好んで用いていました。

そしてこの湾曲した剣は、武士たちが活躍するようになると、
日本全国で広がっていきます。

理由はもちろん、武士たちも馬に乗って戦ったからです。

そして馬に乗ったまま戦うことを想定する刀は巨大化し、
馬に乗ったまま、その勢いで相手を攻撃するようになっていきました。

それと同時に、巨大な刀を扱える人間は、豪傑として尊敬されたため、
南北朝時代には、異常に大きな「大太刀」と呼ばれるものが流行りました。

このように、戦国時代の末期ごろになるまでは、
日本で接近戦において、最もよく使われる武器でした。

しかし、戦国時代の後期ごろから集団戦が発達し、刀や大太刀は廃れていき、
槍や鉄砲のほうが広く使われるようになっていきます。

理由としては、槍も鉄砲も自分の前にまっすぐ攻撃が行くので、
横方向にいる人が近くても、邪魔にならないという理由からでした。

その分、槍や鉄砲のほうが、同じ幅に攻撃力を集中させられるということですね。

そんな中、刀は武器としての存在感を失っていきますが、
代わりに武士の身分を表す身分証のような存在になっていきます。

豊臣秀吉廃刀令には、表立って刀を差せる人間が武士、表立って刀を差せない人間は
武士ではない人間、というような身分をわかりやすくするという側面があったわけです。

そしてこの日本刀が再び「武器」として活躍する時代が、
実はこの後にもう一度だけ来ます。

次回は、なぜほかの武器に主役の座を奪われた刀が再び脚光を浴びるようになったのか、
これについてお話していこうと思います。


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