哲学の始まり

こんにちは!!
s-Live東京つつじが丘校の宮岡です!!

今回は、古代ギリシアにおける哲学のスタートをお話していこうと思います。

古代ギリシアには、ソフィストと呼ばれる人々がいました。

 

彼らは主に弁論術という技術をさまざまな人々に伝える、

家庭教師のような人々でした。

 

この弁論術というのは、相手をいかに論破するのかということに

重きを置いていました。

 

さらには、人間というのは話した内容よりも、その話をした人の雰囲気や迫力で
説得力を感じるため、「真理」を追い求めるというよりかは、
「いかにすごい人に見えるか」という技術を専門とした人々でした。

 

そのため、状況状況において発言が翻ることもありました。

 

彼らは発言内容が翻ることを問題だとは思わず、むしろその翻りをいかに正当性をもっているかということの方を
重視していたからです。

 

ではどのような人々が彼らの授業を受けていたのでしょうか。

 

それは将来政治家になりたいと考える若者たちです。

 

当時のギリシア世界では、ポリスと呼ばれる都市国家が多種多様にありました。

 

そしてそれらのポリスでは、国民(奴隷は含まない)による多数決で国政が決定されていました。

 

となると、重要なのは如何に国民の支持を自分へと向けることができるか、
これに政治家の政治生命が関わっていたのです。

 

つまり、ソフィストたちはあらゆる政治家の育ての親的なポジションに値します。

これに真っ向から向かっていったのが、ソクラテスだといわれています。

 

このソクラテスは「真理」を追い求めていました。

 

議論に勝つ勝たないではなく、世の中で正しいものは何なんだろうということです。

そしてソクラテスはさまざまなソフィストたちに、公衆の面前で討論を仕掛けていきます。

 

とても好戦的ですね。笑

 

その中で彼が用いたのは「弁証法」といわれる手法です。
簡単に言えば、質問しまくることです。

 

たとえば

ソクラテス
「誠実さとは良いことなのでしょうか?」

ソフィスト
「良いことに決まっています。」

ソクラテス
「それでは、人を欺くことは良いことでしょうか?」

ソフィスト
「それは悪いことであるし、先ほどの誠実さとは間逆の位置に存在するものだ。」

ソクラテス
「それでは、側が破れた戦場で、瀕死の友に、希望を持たせるために、
戦いは祖国の勝利であったと偽るのは悪いことなのでしょうか?」

ソフィスト
ぐぬぬ。。。」


といった感じです。(実際のやり取りではなく、こういう雰囲気という例です)


こんな感じでいろいろなソフィストたちに自分が分からないことを質問しまくるわけです。

 

「そんなことを繰り返すうちに、自分達はわかったつもりになっていることでも
 わかっていないことのほうが多い。
 知らないということを知っているという分、私は賢いのかもしれない。」
という考えを持つようになり、これが後に「無知の知」と呼ばれるものになっていきます。

この無知の知を得たソクラテスはどのように行動していくのでしょうか。

それについては、次回の自分の担当のときにお話したいと思います。

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