中庸
こんにちは!!
s-Live東京つつじが丘校の宮岡です!!
前回までで、アリストテレスが科学的なジャンルの祖と
言われるレベルの超人であったという話でした。
そして彼がどのような哲学的な思想を残したかというと、
タイトルに出ている「中庸」だったわけです。
まず、中庸という言葉自体が普段は使わない言葉なので、
意味がわかりずらいと思いますが、要は「バランス大事!!」ってことです。
たとえば、「勇気とは何か」と考えたときに、
勇気があまりにも少なければ、それは臆病となります。
逆に勇気がありすぎても、それが無謀となってしまいます。
勇気というものは、臆病よりも多く、無謀よりは少ないというバランスの中で
初めて活きるものだということです。
この考え方はソクラテス・プラトンとまったく視点が異なるというのがわかりますか??
ソクラテスやプラトンの求めた真理とは、どのような状況であっても通じるものを真理だとして捜し求めてきました。
しかし、アリストテレスはバランスというものがあって一つの絶対的な物差しは存在しないという発想をしたわけです。
現代でも、正しい・悪いは状況によって異なるというのは一般的な考え方だと思います。
これも非常に難しい話題ですよね。
「人によって異なる考え方を受け入れること」は一般的に正しいことだと思います。
しかし、たとえば「盗み」を悪いことだとは思わずに行った人に対して、
「それは君の価値観だからね」と受け入れられる人は非常に少ないと思いますし、
そんなことをしたら世の中が大変なことになると思う人が多いと思います。
ここまで大きな話でなくても、仕事や部活、学校生活、日常生活において、
善悪の基準なんて様々であり、受け入れることが正しいことはわかりますが、
自分や自分の友人、家族にとって、
それを受け入れられないと思うことも多いと思います。
あくまで個人的にですが、アリストテレスの唱えた中庸は、詭弁だと感じます。
バランスが大事なんて事はみんなわかっており、
その先に、自分は何を大切にしたいかというところについての選択肢を
広げるための哲学だと感じています。
ただし、これは今の時代の自分だからこそそう感じるのだと思います。
では、私達が「世界に通じる真理」よりも「個人にとっての真理」を
大切にしたいというのはいつごろの時代から始まったのでしょうか。
そして「個人にとっての真理」というものを重要視した哲学者は誰なのでしょうか。
次回の私の担当では、個人の真理について考え出した天才哲学者について
お話していこうと思います。
つつじヶ丘エリアNo.1の自立支援型個別学習塾はコチラ!!