プラトンのイデア論

こんにちは!!
s-Live東京つつじが丘校の宮岡です!!

今回はプラトンの考えた、イデア論というないようについてお話していきます。

 

イデアなどと聞くと、非常に難しそうに感じると思いますが、
内容はそこまで難しい話ではありません。

 

簡単にいうと、「イメージとリアルで言ったらイメージが大事!!」という話です。

具体的な話を通して説明します。

 

たとえば、柴犬とダックスフンドで言えば大きさも姿かたちもまったく異なりますが、
私達はそれを犬だと認識することが出来ます。

 

しかし、犬の生物学的な定義を知っているかといえばわからない人がほとんどです。

私ももちろんわかりません。笑

 

ではなぜ、私達はこの2種類の犬を犬であると見抜けるのでしょうか。

 

プラトンはこれこそが「イデア」のおかげだと主張するわけです。

 

私達人間には、なんとなくのイメージとして「犬」というものがあります。

そして現実の犬がどんな形であれ、その動物がなんとなく犬かどうかを判断できるわけです。

 

そしてそのなんとなくのイメージというものを「イデア」と呼びました。

 

逆に言えば、現実に存在するものを細かく考えすぎてしまうと、小さな差に目がいってしまい、本質的な部分を見抜けなくなってしまう、だからこそ、この「イデア」をしっかりと見つめることが重要だ。という考え方ですね。

 

 

このイデアを見つめるということには膨大なトレーニングが必要だとも、
プラトンは言っています。

 

 

プラトンは洞窟の絵という話で、イデアを見つめることの大変さを語ります。

生まれてきてから、ずっと洞窟の入り口に背を向ける形で縛られている人がいるとします。

 

 

そして入り口から入ってくる光により、影絵のようなものが洞窟の壁面には写ります。

そしてそれをずっと見続けてきた人は、まさか目の前にあるものが何かが写ったものだとは思えず、壁面の色の変化と捕らえるかもしれませんし、その影を何かの生き物だと思うかもしれません。

 

いずれにしても、何かが壁面に存在していると思うでしょう。

 

仮に、この人の拘束がとけ、洞窟の入り口を見ることが出来るようになったのなら、
彼はどのように思考するでしょうか。

 

一瞬で今まで自分が見ていたものは影であると認識できるでしょうか。

 

答はNoです。

 

彼は最初は、太陽の光に目をくらましてしまうため、正確に洞窟の外を観察することが出来ないでしょう。

 

さらには、先に見ていた影の方を本質だと捉え、洞窟の外にあるものの方を「映っている」ものだと認識するかもしれません。

 

人間は自分の持っている常識(=現実)を捨て去ることは非常に難しいのです。

 

だからこそ、自分が常識に縛られているのではないかという疑いを常に持ち続けよ。
ということを言うわけですね。

 

そしてプラトンの弟子の一人が、このイデア論に対して反論をしていくわけです。

次回には、その弟子のお話をさせていただこうと思います。

 

 

 

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