日本の心ver.3
こんにちは!!
s-Live東京つつじが丘校の宮岡です!!
前回は、大和魂という言葉、そして概念が本居宣長によって再発見され、
人間としての力という意味に加えて、日本人独特の感性という意味も付与され、
アップデートされたというお話をさせていただきました。
初めは国学者である本居宣長は大和魂というものを発見したと同時に、
当時はレベルが低いという認識だった日本の古典というものも、
価値があるということにつながっていきました。
そしてそれは、常に中国の王朝に対して劣等感を抱いていた、
日本の学者たちに勇気を与え、
やんわりと「日本」というアイデンティティを形作っていきます。
そんなタイミングで日本に迫ってきていたのが、欧米の圧力でした。
当時の知識階級は、オランダや清、
またジョン万次郎などの漂流者から情報を得ていたため、
欧米の勢いというのは理解していました。
そしてこの知識階級には、当然国学者たちも入ります。
国学者たちが最も恐れていたのは、
欧米が各地の文化を破壊しながら勢力を拡大していっていたことだと思います。
なぜなら、せっかく本居宣長が再発見してくれた、日本のアイデンティティの萌芽が、
欧米の侵略にさらされれば、失われてしまう可能性が大いにあったからです。
そうして大和魂ということばが政治的に扱われるようにもなっていきます。
具体的には、幕末の志士たちの間で大和魂という言葉が広まっていきました。
そしてその中で、大和魂という言葉に、
勇敢さや忠誠心が高いという意味も付与されていきます。
なぜそのような意味が付与されたかといえば、
心がきれいな人間であったとしたら、大切なものを守るために自分の命を省みない。
という認識が当時の志士たちの間では当たり前だったからです。
そうして明治維新を迎えると、日本人をまとめるための言葉として、
大和魂という言葉が使われます。
江戸時代の国学者が、幕末の志士たちが、もっとも守りたかったものというのが、
日本人が仏教や儒教が入ってくるよりも前にあった大和魂という概念だったからです。
そしてこれらを後の世に継承するために学校教育などでもしきりに使われますが、
次第に齟齬が生まれていきます。
これまで、大和魂という言葉はアップデートされてきました。
前の意味に新しい意味を付与していくという形です。
しかし、政治的な言葉となっていた大和魂は、
次第に「勇猛果敢」「忠誠心」といった意味が強調されるようになっていきます。
というよりは、江戸時代までは貴族や武士という特権階級・知識階級の間に
広まっていた考え方でしたが、
明治以降は一般民衆にも大和魂という言葉が広がっていきました。
特権階級とは、現代の感覚で言えば時簡にゆとりがあるため、
その言葉の持つ本来の意味や背景などを学ぶことができます。
しかし、民衆にはそれができません。
仕事が忙しく、貧しいからです。
そうして大和魂というものの意味そのものが次第に変容していき、
勇敢さや忠誠心を強調する言葉になっていきます。
確かに大和魂という言葉の意味は変容しました。
しかし、勇敢や忠義という概念は悪いものなのでしょうか。
一般的に言えばそうではないと思います。
日本で育まれてきた大和魂という概念が絶対的に悪いものだったのか。
対戦が終わり、時間がたった今だからこそ、
見直せる時代に差し掛かっているのかもしれませんね。
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