大学入試の歴史

こんにちは。

 


本日は東大の日本史の問題の話です。

 

東大の入試問題は、とっぴな知識が必要なものではなく、いかに教科書を読み込んでいるかということを重視する問題だという説明がなされます。

 

確かに、それは間違った説明ではないのですが、どこか、「本当に受験生の立場で問題解説する気があるのか?」と思うような説明です。
(もしかしたら、東大を目指すくらいなのだから、この言葉で全てを理解しろ!!という意図があるのかもしれませんが…)

 

実際には、教科書を読み込んでいるかというよりは、「教科書が(直接は)説明していない部分について、自分なりの答えを持っていることが大事」ということが大切だと思います。

 

具体的には、「AがBに~の戦いで勝ち、新政権を打ち立てた」という記述があったとしたら、
「~の戦いで勝ったからといって、なぜ新政権を打ち立てられたのか?」という内容や、
「なぜ、Bはその後に復活できなかったのか?」という問いを自ら考え、答えを持っておくのが重要ということです。

 

実際に出された問題で、

藤原実頼・頼忠が朝廷の人々から軽視された事情と、藤原公実の(摂関に就任するのが慣例であるという)要求が白河上皇に聞き入れられなかった事情とを手がかりにしながら、摂関政治のころの政治と院政の頃の政治では、権力者はそれぞれ、どのような関係に頼って権力を維持していたかを考え、その相違を150字以内で述べよ。


というものがありました。
(資料問題であったため、問題文から読み取れるように資料の内容を文章化しています。)

 

この問題は、推理力があれば中学生でも解けそうな問題ですが、受験者の出来が相当悪かったらしく、

 

数年後に、
次の文章は、数年前の東京大学入学試験における、日本史の設問の一部と、その際、受験生が書いた答案の一例である。
当時、日本史を受験した多くのものが、これと同じような答案を提出したが、採点にあたっては、低い評点しか与えられなかった。

なぜ低い評点しか与えられなかったかを考え、(その理由は書く必要がない)、設問に対する新しい解答を5行以内で記せ。

 

という一文とともに再出題されました。

 


摂関政治の資料>は、摂関時代のことを述べた文章で、この時代には、摂関家の推薦により高い地位とよい収入を得ようとした受領層の支持を受けて、摂関家が政治の権力を握った。


院政の資料>は、院政時代のことで、この時代には、権力者の上皇が下級貴族や武士を院の近臣として組織し、その力を背景にして権力を握っていた。

 

これが上記の歳出代の際に書かれていたよくない解答例で、どこかの予備校の模範解答であったという噂です。


これの何がだめかというと、問題にある、
藤原実頼・頼忠が~事情とを手がかりにしながら」とあるにもかかわらず、無視しているうえに、
摂関政治院政の用語の意味を答えているだけの解答だから、よくない解答ということですね。

 

彼等は全くマイナーな人物なので、知識として知らなかったとしても問題はありません。

 

ただし、知らないということがヒントになります。

受験生にとって記憶にない人物=何も出来なかった人物=権力を握れなかった人物ということがわかるからです。

 

重要なのは、藤原道長・頼通父子が摂関政治の最盛期を作ったという話と、その方法です。

小学生でも知っている子は知っていると思います。

 

要は、娘を天皇に嫁がせ、天皇外戚(≒親戚)として権力を握ったという話です。

 

逆に、マイナーである藤原実頼・頼忠は権力を握れなかったということは、天皇外戚ではなかったから握れなかったんだと推測できます。

そうなると、院政との絡みもわかりやすくなります。


院政とはもともと、引退した天皇である上皇が、息子を天皇にすることで、
父親として権力を握る政治の仕組みです。

両方に共通するのは、血縁ですね。

 

そして、藤原公実というマイナーな人物が白河上皇という有名な人物に
摂関職に就任したいという要望を無視された理由はただ一つで、天皇白河上皇の息子)の外戚ではなかったからですね。

 

つまり、血縁関係というものを軸に、日本の古代末期では権力の中枢というものが形成されていったという話を書いてあげればいいだけの問題だったということです。

 

 

東大のようなエリート校受験者であっても、歴史を暗記大会・クイズ大会だと思っているような学生がいることは、非常に嘆かわしいことです。

 

 

 

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