西郷隆盛の「こんなはずでは。。。」
こんにちは。
s-Live東京つつじが丘校の宮岡です。
本日は、大河の主人公にもなった西郷隆盛の話です。
彼は明治維新の立役者の一人でありながら、
明治時代以降の近代化した日本についていくことが出来ず、
西南戦争での敗北により、その命を散らします。
彼は、地元の鹿児島県の士族(=旧武士)に担ぎ上げられる形で
反乱軍の大将となっていましたが、
本人は全く乗り気ではなかったようです。
彼が地元へ戻った際にも、地元の士族の過激派をなだめ、
政府への反乱を起こさないように努めていました。
そんな彼やその周辺の状況を、政府は気にして
警官を「視察」のために派遣したようです。
そのことが鹿児島の士族にばれ、彼らは鹿児島へ来た目的を自白させられます。
その中で、「西郷の視察に来た」という証言を、
「西郷の刺殺に来た」と聞き間違いをし、
勘違いした士族たちが焦って決起したというのも理由の一つだそうです。
西郷隆盛自身、どのようなことを当時に考えていたのかが分かりませんが、
西郷を慕っていた人たちが、西郷を不幸の中へ引き込んでしまったというのは、
皮肉なことです。
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